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静岡地方裁判所浜松支部 昭和49年(ワ)295号 判決 1976年1月19日

原告

山本まさ子

ほか一名

被告

山本詔二

ほか一名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

一  当事者の求める裁判

(一)  原告ら 「被告両名は各自原告山本純に対して三四八万三、七〇〇円、原告山本まさ子に対して九七万一、八〇〇円およびこれらに対する昭和四九年一一月八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言

(二)  被告ら 主文と同じ判決

二  原告らの請求原因

(一)  原告山本まさ子は亡山本昇の妻、原告山本純は昇の長男であり、被告山本詔二、同山本しかは亡山本正敏の父・母である。

(二)  亡山本正敏は、昭和四七年一一月一日午前一時五分頃亡山本昇所有の普通乗用自動車に山本昇および朝比奈信行を同乗させて運転中、浜松市下飯田町一〇八番地地先国道一号線交差点において、戸崎一四郎運転の貨物自動車と衝突し、そのために山本昇、赤比奈信行を死亡させたほか、山本正敏自身も死亡した。

(三)  右事故は、山本正敏が酒気を帯びていて正常な運転をすることができない状態にあつたのにあえて運転し、事故現場の交差点で東側から国道一号線に進入する手前で一時停止を怠つた過失により、同国道を北進中の戸崎車に衝突したものである。

したがつて山本正敏は民法第七〇九条の不法行為者として山本昇の死亡に伴う損害を賠償する義務があり、被告らは山本正敏の相続人として右義務を承継した。

(四)  山本昇の死亡に伴う損害は次のとおりである。

(1)  逸失利益。山本昇は死亡当時二二才で日進畜産工業株式会社に勤め、年間の給料と賞与として合計一一五万〇、〇〇二円を得ていた。もし本件事故にあわなければ六三才になるまでなお四一年間就労が可能であつた。そこで生活費を月二万二、一〇〇円(総理府統計局昭和四六年全国全世帯平均家計調査報告における一世帯支出額を世帯員数で割つたもの)の割合で控除し、かつホフマン式計算で中間利息を控除すると、山本昇の得べかりし利益の現価は一九四三万八、九六八円となる。

原告らは山本昇の相続人として同人の右損害を、まさ子が三分の一つまり六四七万九、六五六円、純が三分の二つまり一二九五万九、三一二円承継取得した。

(2)  葬儀費用。原告山本まさ子は山本昇の葬儀を行ないその費用として二〇万円を支出した。

(3)  慰藉料。原告山本まさ子は昭和四六年五月山本昇と結婚し、同年一〇月原告純を出生し、昇を一家の柱として幸福な新婚生活を営んでいたのに、それも一年半にして、今日の悲境に陥り、生活の方途さえつかない状態である。原告純の悲しみもいうまでもない。原告らの右精神的苦痛に対する慰藉料としてそれぞれ二〇〇万円が相当である。

(五)  右のとおり、原告まさ子は(1)ないし(3)の合計八六七万九、六五六円、原告純は(1)、(3)の合計一、四九五万九、三一二円の損害を蒙つたことになるが、他方で山本昇は事故にあつた自動車の所有者であり、かつ山本正敏の飲酒運転を知りながら、山本正敏に運転を許し、しかも同乗した点に過失があつたから、原告らの右損害のうち六〇パーセントを過失相殺して控除する。そうすると、原告まさ子の損害は三四七万一、八六二円、原告純の損害は五九八万三、七二四円となる。

(六)  原告らは自賠責保険から合計五〇〇万円の支払を受けたので、各々二五〇万円ずつ、前項の損害から控除する。

したがつて、原告まさ子の請求額は九七万一、八六二円、原告純の請求額は三四八万三、七二四円となる。

(七)  そこで原告まさ子は被告らに対し九七万一、八〇〇円、原告純は被告らに対し三四八万三、七〇〇円およびそれらに対する昭和四九年一一月八日(訴状送達の日の翌日)から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(八)  (被告らの主張に対して)

(1)  被告らがいうように山本正敏が事故当時運転免許の効力を停止されていたことは認める。しかしそのことを山本昇が知つていたかどうかは判らない。

(2)  山本昇がその輩下である山本正敏に従属関係を利用して運転させ、しかも助手席で運転の指示をして運行を支配したということは、否認する。

当夜山本昇、山本正敏、朝比奈信行の三人ははじめ松浦朝次方で飲酒し、次いで袋井市のバーで飲酒し、その帰途事故にあつたのであるが、山本昇はバーを出るとき泥酔状態で、他の二人にかかえられて車の後部座席に乗せられた程であつて、とても運転の指示ができる状態ではなかつた。したがつて山本昇が山本正敏と一体化した不法行為者であるとはいえない。

(3)  原告らは東武運輸から四〇〇万円の請求があつたことは知らない。被告らのいうような相互に賠償請求をしないという合意ができた事実はない。

三  被告らの答弁、抗弁

(一)  原告らの請求原因事実のうち、(一)の事実は認める。

(二)のうち、原告ら主張のように山本昇所有の車と戸崎車とが衝突し山本車に乗つていた三人が死亡したことは認める。

(三)の事実は否認する。(四)のうち逸失利益と葬儀費用は不知、慰藉料は否認する。(五)の過失相殺の主張は争う。(六)の保険金が支払われたことは認める。

(二)  事故当時山本正敏が山本昇の車を運転していたことは否認する。当時正敏は運転免許を停止されていた。

(三)  仮りに山本正敏が運転していたとしても、被告らには原告のいう損害賠償義務はない。その理由は次のとおりである。

山本昇は事故車の所有者であり、しかも山本正敏が酒に酔っており、かつ、運転免許の停止中であることを知つていたのに、山本正敏が仕事の上で輩下であり昇と従属関係にあるのをよいことに、あえて正敏に運転させ、その上自分は助手席にのつて運転の指示を与え、運行を支配しているうちに本件事故を起したのである。したがつて、山本昇は山本正敏と一体化した不法行為者であり、何人に対しても損害賠償請求権はない。山本正敏、ひいて被告らには賠償義務がない。

(四)  原告らと被告らとの間には相互に損害賠償を請求しないという合意があるから、原告らの請求は失当である。

すなわち、本件事故後戸崎車の所有者である東武運輸株式会社から原告ら、被告らおよび朝比奈の遺族に対して車両および積荷の損害として四〇〇万円の支払の請求があつた。その解決について、原告ら、被告らおよび朝比奈の遺族は、三者一体となり、小石弁護士(本件被告ら代理人)に委任して東武運輸との交渉に当つた。また三者は一体となつて小石弁護士に委任して自賠責保険の被害者請求手続をした。

それらの際三者の間では損害賠償の請求をしないという合意ができた。少なくとも右事実からみて右合意があつたと解すべきである。

四  証拠〔略〕

理由

一  原告の請求原因(一)の事実(原告ら、被告らの身分関係)は当事者間に争いがない。

二  昭和四七年一一月一日午前一時五分頃浜松市下飯田町一〇八番地地先国道一号線交差点において、亡山本昇所有の普通自動車と戸崎一四郎運転の貨物自動車とが衝突し、山本車に乗つていた山本昇、山本正敏および朝比奈信行の三人が死亡したことは、当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第五号証の一、二、証人太田行治、鈴木喜代次の各証言、被告山本詔二本人尋問の結果を総合すると右事故当時山本車を運転していたのは山本正敏であることが認められる。被告らはこれを争い、当時正敏は運転免許の停止中であつたといい、その免許停止中であつたことは争いないが、その他に被告らの右主張を裏付け、あるいは上記認定を動揺させる証拠はない。

三  前出甲第五号証の一、二成立に争いのない甲第三号証、第五号証の一一ないし一四、前出太田、鈴木各証言に原告まさ子および被告詔二各本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

山本昇、山本正敏および朝比奈信行の三人はともに日進畜産工業株式会社浜松支店(精肉ハムなどの小売店)に勤務しており、三人のうちでは山本昇が一番先輩で、山本正敏は山本昇の紹介で入社したこともあり昇に兄事し、日頃先輩先輩といつて昇の家庭に出入りしていた。正敏は事故のしばらく前運転免許の停止処分を受け、掛川から車で通勤していたのをやめ、浜松市内にアパートを借りて住んだ。正敏の両親はそのことで昇を訪ね、正敏が免停になつて浜松市内へ住むことになつたから監督を頼むと依頼し、昇は「正敏は俺のいうことはなんでもきくから心配ない。」と答えた。事故の際昇、正敏および信行の三人は午后七時半頃から同じ勤め先の松浦朝次方で同人および同じ勤先の支配人鈴木喜代次を含め五人で酒を飲んだ。皆で二升近く飲んだ上、昇、正敏、信行の三人は昇所有の車で可美村の松浦方から袋井市のバー銀座(比那ひで経営)へ赴き、そこでピールを飲んだ。三人はそのバーへ行つたときには既に大変酔つていた。三人は一一時半頃バーを出た。それから三人で昇の車に乗つて浜松へ向い、昇の家を通りすぎて西進中に事故に会つた。正敏の運転する山本車は東側から国道一号線に進入した。戸崎車は国道一号線を北進していた。国道一号線は山本車の走つてきた道路より幅員が明らかに広い。この交差点は交通整理は行なわれていない。したがつて山本車は交差点に入る手前で徐行し、国道一号線を通行する車両の進行妨害をしてはならなかつた。(道交法第三六条)ところが山本正敏は酒に酔つて正常な運転ができない状態であつて、交差点で徐行せずまた国道の交通を優先させることなしにそのまま進入したため、折から国道を北進してきた戸崎車と激突し、山本車は前部を大破した。以上の事実が認められる。鈴木証言のうちに昇ら三人は松浦方を出るときそれ程酔つてはいなかつたという部分は甲第三号証や太田証言と対比して信用しない。その他に右認定に反する証拠はない。

そうすると、本件事故は山本正敏が酒に酔い正常な運転ができない状態で車を運転し、交差点の手前で徐行せず、かつ幅員の広い交差道路の交通を優先させなかつた過失によつて惹起されたものということができる。したがつて正敏は右事故による昇の死亡に伴う損害を賠償する義務があり、被告らは正敏の右義務を承継した。

四  昇の死亡に伴う損害を考える。

(一)  逸失利益。成立に争いのない甲第一号証、第四号証、原告まさ子本人尋問の結果によると、山本昇は死亡当時二二才で年収一一五万〇、〇〇二円を得ていたことが認められ、これに反する証拠はない。そこで就労可能年数を六三才までの四一年とし、昇の生活費として右年収の三割(昇の家族は夫婦と幼児だから原告らのいうように世帯の生活費を世帯員数で割るのは相当でない。)を控除してホフマン式(係数二一・九七)で逸失利益の現価を算出すると一、七六八万五、八七一円となる。それを原告まさ子は三分の一、つまり五八九万五、二九〇円、原告純は三分の二つまり一、一七九万〇、五八一円ずつ相続により取得した。

(二)  葬儀費。原告まさ子は葬儀費として二〇万円を支出したと主張し、その額は相当と認められる。したがつて原告まさ子の損害合計は六〇九万五、二九〇円となる。

五  ところが山本昇は、前認定のとおり、事故当時三人が乗つていた車の所有者であり、山本正敏が当時運転免許を停止されていることを知り、かつ酒に酔つて正常な運転ができない状態にあることを知つていた。そうすると昇としては、正敏に車を運転させてはいけなかつたのであり、正敏が運転しようとするなら厳にやめさせるべきであつた。昇は正敏の先輩であり、運転を禁ずることができる立場にあつた。しかるに昇は正敏らと一所に酒を飲み、自分の車で梯子飲みをした。そして最後に正敏が酒に酔つて昇所有の車を運転するにまかせ、しかも自らその車に同乗して危険に身を置いた。(なお被告らは昇が助手席に同乗して正敏に運転上の指示を与えたとか正敏の運転を妨害したというが、それを認めるに足りる証拠はない。)

右事実からみると山本昇にもまた大きな過失があり、その過失は山本正敏の過失の大半を掩うものというべきである。そして両者の過失の間に過失相殺の規定を類推すると、正敏の過失を一〇とすれば昇の過失は八の割合とみて、正敏は昇の死亡に伴う損害のうち二割を賠償するをもつて足りると認めるのが相当である。

そうすると、結局原告まさ子の損害は四の金額の二割にあたる一二一万九、〇五八円、原告純の損害は同じく二三五万八、一一六円となる。

六  原告らが昇の死亡により精神的な苦痛を受けたことは明らかであるが、そのための慰藉料の額は前記諸事情を勘案すると、原告らにつき夫々五〇万円ずつとするのが妥当である。

七  結局原告らの請求額は五と六の金額を合計した額つまり原告まさ子が一七一万九、〇五八円、原告純が二八五万八、一一六円となる。

ところで原告らが自賠責保険から五〇〇万円の支払を受けたことは原告らが自認するところであり、それを右の原告ら各自の請求しうる損害額に按分して充当すると、原告らはもはや被告らに請求しうるものを残さないことになる。

八  すなわち、原告らの損害は自賠責保険で填補されたことになり、原告らの被告らに対する請求は理由がないこととなる。そこで被告らの抗弁については判断するまでもなく、原告らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 水上東作)

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